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2009.09.26

シンプル族の評価は「旅館は7等賞」

20~30歳代が多く住む都心の大規模マンションの夏祭りのフィナーレで、温泉旅館のペア宿泊券も当たる抽選会があるというので出かけてみました。

景品の旅館は比較的有名な宿でしたので「当然、1等か2等だろう」・・・と考えるのは、実は古い発想だということを、そこで思い知らされたのです。

大盛り上がりの抽選会の1等賞は、任天堂のゲーム「Wii」。2等賞は東京ディズニーランド。3等賞は、「i-pod」。4等賞はスーパーの商品券・・・。

そして、温泉旅館ペア宿泊券は、哀しいかな、8等賞の体重計のひとつ上、7等賞だったのです。旅館なんて「体重計と同程度の価値」だったのです。

30歳代の夏祭りの実行委員に聞くと、「温泉旅館は、そこまで行く交通費がかかるし、第一、無料は2名分なので、3名以上の場合は有料になるから人気ない」との弁。2名ならTDLも同じだと思うのですが、ディズニーランドはカップルで行くからいいそうな。

この夜、若い人が旅行に行かなくなった、という現象の一端を垣間見たとともに、これからの旅館の方向性を教えてもらったような気がしました。

第1に、これからは「グループ旅行」が戻ってくるような気がしました。旅行とは、彼らの言葉でいう「オフ会」です。メールで繋がっている彼ら・彼女たちはカップルで旅館には行かず、これからは複数名で行く嗜好を持っているようです。当然、我々は「ホームページでのグループ予約」ができるように、至急対応すべきでしょう。

第2に、マイカーが減り、「電車・バスでの旅行」が増えるでしょう。車の所有台数が年々減っている事実がその予感を裏付けています。そこで、我々は、電車とセットで宿泊を案内することや、電車利用日帰り旅行への対応も考えていかなくてはなりません。

現代の若者は「シンプル族」と言われ、シンプルな生活を志向しています。インターネットを日常道具として情報を収集し、個人の価値を高める生活を望んでいます。彼らに対応した旅館を作れるかどうかが、今後の売上にかかっていると言っても過言ではないと思います。興味ある方は「シンプル族の反乱」(三浦展著)のご一読をお勧めします。

2009.09.25

旅館料理は理性でなく感情で食べる

昔から、よく旅館の経営者の皆さんと「旅館の料理」に関する議論になることがあります。

それは「料理の量」の問題。(多過ぎるのか、そうではないのか)

旅館の事業再生時のスポンサーとなる皆さんなんかは特に「この食べ切れない量のどこが適量なのか」と言い、調理場も「ロス(廃棄)が多すぎて、原価にも響く」と仰います。私も食べ切れません。最後のご飯まで平らげられるのは、十回に一回あるかどうか。

しかし、接客現場や経営者の方に聞くと、「多過ぎても『食べられないよ』と苦笑されるくらいですが、もし『少な過ぎる』ようであれば、確実に大苦情になります」とのこと。

「料理は理性で食べてない、感情で食べている」ので、「絶対に少な過ぎることは許されない、残すくらいでちょうどいい」というのが、ほとんどの旅館の現場感覚なのです。

食事の量には「個人差」があり、質に関しては「経験差」がありますし、同じ人でも旅の目的で変わってきます。誰かを招待した旅行であれば、誰もが「量は多いほうがよい(少な過ぎると恥ずかしい)」と思いますし、自分のための旅行であれば、「健康のためにも多過ぎないほうが良い」と考えるでしょう。

温泉ファンを中心にすこぶる評判のよい川渡温泉「みやま」に、知り合いの方が視察に行かれた時、「あれでは少な過ぎ」と驚いて帰ってこられました。きっとどなたか「みやまに関する事前知識のない方」と一緒に行かれ、少ないと言われたのではないかと思います。この宿は、滋味あふれる地のものを味わう事を楽しみに行く、つまり、「自分で楽しむのに適した」宿だからです。

こうした問題に対し、多様な客層に対して単一メニューで臨むなら「(質は差こそあれ)量は多く!」というのが、旅館の最大公約数的標準感覚なのです。本来、新潟の「汐美荘」や「ゆめや」がやっているように、コースにより量を選ぶことができるというのが理想でしょうが、選択させるとそれだけ手間がかかりますので、現在の調理師の人数では難しいところが多いかもしれません。追加料理にしても同様。どうせ出るなら、最初から出したほうが調理場は勤務時間が減り、楽ですからね。

そこで、「量は多めに出るかもしれませんが、献立表を見ながら、多ければ食べ残してください」というのが旅館の親心ということなのですが…

「食欲は、理性ではなく感情。感情で食べる限り、量は多く」。

ある意味もっともな、この問題にどう対処していきましょう。

そう言われても、私としては、とにかく、ロス率13%(農水省調べ、重量ベース)という、食べ残しを見過ごしたくはありません。13%を残飯として捨てているのです。せめて、信州の「明神館」のように堆肥化して自家用として循環できればベターなのですが、ほとんどの宿でその手間はかけられないと思います。堆肥化のコストもバカにはなりませんし、堆肥化したところで、きちんとやらないと、土の栄養に偏りが出てしまいます。

結局は、今のところ対処療法としては「選択制」がベスト。次に「料理の量」について、情報を事前提供すること。しかし、これも、「写真を出したりして、もし違っていたら、苦情になる」と必ず言われます。

苦情、苦情、苦情…

これをいかに避けるか、というのが、料理の量以前の現場の至上命題なのです。

「消費者庁とか言ってるけど、できれば、消費教育を先にやって欲しい」。そういう願いも少なくはありません。かと言って、消費者だって、決して悪くはありません。と、だんだんと、表面的・日常的な議論になってしまいます。

悪いのは何か。私の今の結論は、大局的に考えれば、悪いのは「需要の週末への極端な偏り」。「需要の平準化」を目指し、週末偏重を改善することが、結局の改善策だと思っています。料理の量問題は、日本人の休日を分散し、消費を平準化すれば(アリのような安定経営になり)、自然に直ると思います。

なぜなら、需要が平準化され、旅館の資金繰りが安定すれば、夕食選択制への余裕ができるからです。まずは、「何もできない」病に陥っている中小企業の経営の安定化が必要。そのうえで、ちゃんと議論したいものです。「休日」の高速道路1,000円化こそ、刺激策としては理解できても、続けたとしたら愚の骨頂。これでは、キリギリス(稼げる時に稼ぎきる)病という最悪の観光経済を招き、一層、旅館料理の量は増えることでしょう。

料理の量を考えるなら、「需要」の平準化。

ちょっと違った角度から、旅館の料理の量について考えました。よろしければ、こちらもご拝読ください。

http://allabout.co.jp/travel/yado/nlbn/NL000097/vl_268.htm

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2009.09.22

昭和建築の温泉宿で四川料理!

フランク・ロイド・ライトに師事し、その片腕として帝国ホテルの設計に関わった建築家、遠藤新が設計した木造建築であり、文化財にも登録される「豊年虫」(戸倉温泉笹屋ホテル内)が、この秋に限り、宿泊供用されることになりました。

豊年虫

客室間に壁を設けた数奇屋造りは個室利用を前提とした建築物として昭和初期の旅館文化に灯火を点したとともに、本間から一段(20センチも)下がった広縁の椅子からは、本間の座敷に座った時と同じ視線で庭を眺められる粋な設計。

通常はギャラリーとして希望者向けの見学用としている豊年虫への宿泊要望が多いことから、秋限定のオープンとなったようです。

名建築家の建物を愛でるとともに、戸倉温泉の硫黄がほのかに香る湯が注がれる100%かけ流しの温泉や、併設されている四川料理「杏苑」で陳建民直伝の四川も楽しみたいところですね。あるいは、秋の信州ならではの松茸も一興。そして、食後には、庭を眺めながらのバーで一杯。

うーん。信州の秋を満喫できる企画です。

■笹屋ホテル「豊年虫」(戸倉温泉:しなの鉄道戸倉駅下車)

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