ストレスなお酌と旅館料理
長野県庁で、今春から「お酌禁止令」が発令され、職員らの宴席では他人にお酒を注いではならぬと、宴席での「手酌」が原則となったそうです。
「そんなヒステリックな」とか、「お酌は日本の文化だ」という声も聞こえてきそうですが、日本酒の蔵元業界が、減少するお酒の消費量を憂いて副知事に申し入れた結果だそうですので、事態はそう単純ではありません。
「お酒くらい自分のペースで飲みたい」。そう考える人たちが多かったのでしょう。この「禁止令」は、職員に歓迎されているそうです。
このニュースでわかるのは、「宴席のお酌がストレスになっていた」こと。それも「お酌するほうばかりではなく、されるほうも」です。コミュニケーションによかれと思っていた私たちの発想は、少々古くさく、かえって機会損失につながっていたようなのです。
この「良かれと思っていた日常慣習が無言のストレスとなり、消費を押し下げる要因になっていた」というケースは、他にもないでしょうか。例えば、旅館の「料理の量」はどうでしょう。
日本では古くから他人をもてなす際、多くの料理と酒をふるまうことが善とされてきました。その点、「お酌」も「食べきれない量」も儀礼のひとつと思えばよいという意見もあるかもしれません。
しかし、先日ある温泉地の会議で、調理長の皆さんまでも「料理の量は多すぎる」「食べ残しほど辛いものはない」と訴えていました。利用者の「料理の量が多すぎる」という声がかなり以前からあるのはご存じの通りです。
「旅館料理の量は誰にとってもいまやストレスであり、旅館の連泊や宿泊の妨げになって消費が減少している」としたら、いつまでも儀礼だからと言っていられないような気がします。
まずは、写真に写る料理の量で営業する旅行業界には営業視点を改めてもらいたいと思います。さらには、料理の量でしか差別化できない旅館も、料理の中身で勝負するマーケティング感性を備えて欲しいと思います。
お客様が来ないと憂える前に、今こそ料理改革を始めませんか。